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高等遊民

最近文庫化された石原千秋の『漱石入門』(河出文庫)を読んだ。紹介文曰く「六つのテーマ―「次男坊」「長男」「主婦」「自我」「神経衰弱」「セクシュアリティー」―」で漱石の小説を読み解いた本で、この本は初めて読んだのだが、長年の石原千秋の愛読者ならば彼の他の本のどこかで読んだような話で新鮮味は少なかった。とはいえそれなりに楽しく読んだのも事実だけれど。

漱石本を読んだせいか久しぶりに夏目漱石を読みたくなって、未読で積読だった『行人』を読み始めた。三分の一ほど読んだがまぁ面白いこと。なにが面白いのと訊かれると困るのだけれど、とりあえず僕は漱石の文章が好きだし、小説技術として巧いなぁと思うし、彼の小説に出てくる登場人物がうだうだと悩んだりするのが好きなのである。

 

漱石の小説ではしばしば『それから』の代助のように「高等遊民」が描かれる。それなりに高い学を修めながらも家のスネをかじり、働く必要性のない彼らは、文化を楽しみ、細かなことに悩み、ゆらゆらと日々を過ごしているわけである。

昔からなりたいものがない僕だったが、最近はこの高等遊民になりたくて、思えば大学生の頃から言っている。ゼミでもそのようなことを言っていたら先生から「それってニートじゃん」と言われた。なるほど確かに今ならニートということになるのだが、なんとなく違うのである。根幹は「働きたくない」なのだろうが、「働く必要性がなく」、「趣味に明けくれ」、「働いていると気にかけれないような細かなことにうだうだと悩む」その生活に憧れるのである。

大学生の頃はわりかし高等遊民的な生活を送っていて、いろいろなことを考えていたが、社会人になってからはどんどん即物的になっている。

この前友人に「とびんくんは『転向した』」と言われてしまったが、確かに最近の僕は本を読んでるより声優のラジオを聴いてる時間の方が多い気がするし、昔は思想書とかを読んで少しは高尚なことを考えていた気がするが、最近は声優とおっぱい(疲れているのです)と浪費と貯金のことしか考えていない。

高校の先生に「お金を稼ぐことは精神の自立につながる」と言われて、まさしくなどと思う一方で、やはりもっと(たいして負っていないはずの)責任から逃れて学生の頃のようによく分からないことを考えたいと思うのである。

 

最近見つけた石原千秋の記事を貼っておきます。

夏目漱石はなんでこんなに女の人の怖いところがわかるんだろう?(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(2/2)