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つれづれ

今の時期は通学する大学生に高校生、当然通勤するサラリーマンがいて、朝の電車は混んでいる。大学生が休みに入る二月になると多少空くのであるが、とかく今は混んでいる。ただでさえ憂鬱な朝に満員電車に乗って、運悪く太った中年の近くになり、ぶよぶよのお腹に押される位置に陣取った日には最悪である。もはやデスメタルを聴くしかない状況である。

そんな憂鬱な通勤であるが、この前ふと耳に入ったアナウンスで到着の際に「ご乗車お疲れさまでした」と言っていて、朝から少し癒されてしまった。とはいえ、朝から「お疲れさまでした」と言われるのも変な話だし、それに癒されるのもおかしな話ではあるが。

 

通勤といえば、僕は電車の中で音楽を聴いてやり過ごしているのだが、最近イヤホンの調子が悪くて困っている。僕は耳に深く挿入するタイプ、俗に言うカナル型のイヤホンが苦手なので、iPhoneについてくるイヤホンを使っているのだが、これの調子が悪くて困っているのだ。買い替えようと思うのだが、このappleのイヤホンは買うとなると3,200円で、だったらもう少し払っていいイヤホンを買いたいのだが、最近はカナル型が主流で、昔の形のイヤホンはほとんどなくて困っている。やれやれ。

 

と書いていると村上春樹が来年の二月に新作長編を出すニュースが入ってきた。村上春樹は初期の方が好きで、最近のはいまいちなのだが、なんだかんだ嬉しいニュースである。しかし、『1Q84』から7年が経っているのか…。ふうむ。

お祭り

先週の金曜日にMETALLICAが8年ぶりに新作アルバムを出した。サマソニだけでなく世界各地のフェスでトリを飾るそのバンドは、METAL界のみならずROCK界を代表するバンドと言っていいだろう。そんなビッグバンドの新作であるのだが、僕の中ではもはや期待とかはなく、あるのはなんとか「聴けるアルバム」であればいいというくらいものだった。アルバムとしては91年発表の『METALLICA』までが価値あるもので、それ以降はライヴバンドというイメージが僕の中にはあるし、世間的な評価もそんなものだろう。

 

METAL界きってのビッグバンドなだけにここ数週間はSNS等でも新作に向けてざわざわしていて、期待感はないとはいえせっかくだからアルバムを買おうと思い、一番安く買えるAmazonで予約しようとしたのが発売日の二日前。発売日直前だったせいか発送予定日が発売日から一週間以上あったので、これでは祭りに乗り遅れると思い少し高くつくが結局タワレコで買うことにした。

発売日にタワレコに行くとさすがビッグバンド、注目の新作コーナーにそれなりのスペースが割かれていた。なんとなく嬉しくなりながらレジに向かい購入。思えば8年前はすっかりメタラーだったがそこまでMETALLICAが好きではなかったので発売してから少し経って当時の新作を買ったと思う。なのでこれがMETALLICAというバンドの新作を発売日に買うという初めての経験で、なかなか気分のいいものだった。

さて、そうして買った新作であるが、とりあえず今週末に一周聴いてみた。

!!いいじゃん!聴ける!ぜんぜん聴けるよ!特にアルバム最後の「Spit Out the Bone」なんて冒頭のリフとドラムが最高だよ!!

 

最近読みなおした『ノルウェイの森』で永沢さんという人物が出てくるのだが、彼は「死後三十年を経ていない作家の本を原則として読まない」人物として語られている。永沢さん曰く「ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくないんだ。人生は短かい」、だそうだ。

極端な例ではあるが永沢さんの価値観は、それはそれで有意義なものだろう。でも「時の洗礼」を受けたすばらしいアルバムを何枚も持つバンドの新作がご機嫌な出来だった、みたいなことに遭遇してしまうと、無駄になるかもしれないとは思いつつも時代について行くのもいいものだなと思った。

 

ダークプリンス

お会いして参りました。そう闇のカリスマ。マリリン・マンソン様に。

 

おそらくマリリン・マンソンが最も勢いのあったのは90年代後半からゼロ年代初頭で、最近のアルバムはいまいちだし、ライブ映像を観てもお腹はぷっくり、声はそんなに出ていないしで、正直もう全盛期を過ぎた人みたいな感じでここ数年は眺めてました。

今回観たのはノットフェスという音楽フェスで、lamb of godSlipknotをお目当てに参戦することにして、まぁ、せっかくだし10年前に入れ込んだマンソン様も観るかーという感じだったのですが、いやはや、マンソン様がベストアクトですよ!

 

ステージが二つあって、トリのSlipknotをアリーナで観るともみくちゃにされそうだったので、マンソン様側で「あー早くあの狼バンド終わらないかなー」と思いながら待機。

狼バンドが終わり、少し経って暗転。リアーナの「Bitch Better Have My Money」に合わせてマンソン様が登場。行く前は友人に「もう終わった人だけどなんだかんだ僕の青春だったから記念に観てくるわw」とか言ってましたが、すみませんマンソン様。あなたは真のカリスマです。スーパースターです。

確かにお腹はぽっこりしているし動きももっさりしているけど、声は出てる!シャウトもしっかりしてる!というかオーラがやばい。青春時代に僕をこじらせた名曲の嵐に当時のやさぐれた気持ちを思い出し、気づいたら歌い、ヘドバンをしていました。

ハイライトは赤い花で包まれたマイクスタンドで歌うバラード「Coma White」。正直メタル系のフェスでバラード歌われてもって感じなんだけど、この「Coma White」は良かった。マンソン様の醸し出す雰囲気と少しかすれた声と演奏、赤いマイクスタンドがすごく合っててCDで聴くより素晴らしかった。

 

なんだかんだ青春期に熱心に聴いた音楽は強いね。次はもっと長い時間で観たいのでフェスじゃなくて単独公演で謁見したいです。

あと高校時代にマンソン様の曲の「We Hate Love. We Love Hate.」って歌詞を英語の小テストのふちに書いて先生に突っ込まれ恥ずかしい思いをしたのは内緒です。

ガソリン切れ・・・

いよいよこのブログも書くことがないのでよくわからない話をよくわからないまま書いて載せたいと思う。

ジャック・ラカンの本は読んだことがないけれども、ラカンの解説本は何冊か読んだことがあって、そこでは必ず「私の欲望とは他者の欲望である」という意味の言葉に出会う。なぜそうなるのか理論的に十分に把握できているわけではないが、この言葉に出会ったころからこの言葉はすんなりと僕の身体の中に入り込み馴染んでいった。

他では石原千秋夏目漱石のテクスト読解でよく引用するルネ・ジラールの「欲望の三角形」なんかもすんなりと入ってきたものの一つである。

<「欲望」とは「自分」が望むものである>と(普通?)思われているものをひっくり返し、<「欲望」とは「他者のものである」>というこの言説が僕にすんなりと入ってきたのはおそらく僕の性分に合っていたからだろう。

 

小学生の頃に「将来の夢」について文章や絵を描いたりする機会があるが、いつも僕はそのお題が与えられると困っていた。今でも覚えているのだけど、小学校低学年のときに、将来の夢を記入しなくてはいけなくて、なんとなく親の家業を継ぐものだろうと思いその職業を記入したら後日母親から「別に継がなくていいよ」と言われた。その時は「そうか。継がなくてもいいのか」と思ったことを覚えている。

その後高学年になり今度は「将来なりたい職業」を絵に描かなければいけなくなった。当然「なりたい職業」などはなく(思えばこの頃から高等遊民の素質があった?)、家業を継ぐということもなくなった宙ぶらりんな僕はなんとなく「寿司屋」になって寿司を握っている絵を描いたような気がする(どうして寿司屋にしたのかは不明。多分構図的に描きやすかったのだろう。)。

 

思えば、僕は高校受験、大学受験と受験勉強はそれなりにしっかりしたのだが、これは多分母親の欲望を内面化していたからだろうと、今から考えればそう気づく。もちろん僕自身にも自分より下に見ている同級生よりもレベルの低い所に行きたくはないという欲望はあったのだが、何よりの原動力は母親と大学受験ではお世話になったある高校の先生の欲望(というか期待)に応えたかったからだと思う。その証拠かあまりとやかく言われなかった就職活動では頑張れなかった。

 

こうして「欲望」について良く分からない文章を書いて、ぼんやりと「欲望」について考えてみたのだが、畢竟、僕は「責任」を抱え込みたくない人間なのだと思う。自分が何かを欲し主体的に行動をすると、そこではその主体性ゆえの責任が発生する(と僕はどこかで考えている)。しかし、他人からの欲望というか期待を経由して行動していると、結果的に僕の行動であっても、それは根本が僕のものではないので、「責任」はそれほど感じなくて良い。

と、つらつらと書いてきたけれど、ますます自分でも結局なにが言いたいかわからなくなってしまった。これ以上書いても埒があかないし、空欄も埋まったのでこのあたりとする。

いろいろと邪推されそうで、その邪推は的を射ているのかもしれないけれど、その邪推よりかは、僕は僕自身のことを把握しているつもりでいる。と、ほんとうにわけがわからなくなってしまった。文章はいつだって不完全だ。やれやれ。

天才の背中(あるいは体調不良によるお茶濁し)

買ってきました。『Number』武豊特集号。

文芸誌以外の雑誌を買うなんて久しぶりだ。


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世の中には「天才」と称される人がいろいろといるけど、僕が天才と言われて最初に思いつくのはやっぱり武豊かな。

「早熟の」という形容がつくとなぜか寺山修司が思い浮かぶけど。


2010年に大きな落馬事故をして(当時中継を見ててその落ち方にはゾッとした)、それからは武豊らしからぬ不調だったけど、ここ数年はさすが武豊といった感じで復活してきてて嬉しい。

やはり武豊には華があるし、華やかなG1には武豊が必要なのである。


ところで皆さんは「天才」といえば最初に誰を思い浮かべますか?

加齢とともに

年々涙腺が弱くなっている気がする。

学生の頃まではどんな映画やアニメを観ても、小説や漫画を読んでも感動はするが涙を流すことはなく、そういった作品でボロボロと泣ける人がなんとなく羨ましく、なんだかんだ泣けない自分は、本当はそんなにも感動していないのではないかとも考えていた。

しかし、社会人になってからは、感動の度合いは同じなのだがしっかり涙まで流れてきやがる。これが老いというものなのだろうか。

 

先日も劇場アニメ『魔法少女リリカルなのはReflection』の公開の報を観て泣いてしまった。

数年前に「『なのはシリーズ』の劇場新作アニメやります!」との話はあったけど、田村ゆかり(なのはシリーズのメインキャスト)とキングレコード(なのはシリーズのメインスポンサーみたいなもの)があんなことになったので、半ば諦めていたのだけれどどうやら来年の夏に公開されるらしい。

キング側には「なのはシリーズ」清算の意味もあるのだろうけど、「高町なのは」を演じるゆかりんにまた会えることを素直に祝福したいと思う(とはいえまだキャストやストーリーの詳細は発表されていないので確定ではないが。)。

 

発表を知ったのは慣れない合コンに出席して、家に帰ってネットを見ているとそのニュースが転がっており、すぐにリンクの動画を観ると、過去の劇場作品の映像が流れ、最後にロゴとゆかりんの「魔法少女リリカルなのはReflectionはじまります」というナレーションがあるだけだった。とはいえたったそれだけの映像とゆかりんのナレーションで泣いてしまった。

合コン帰りの深夜にアニメ映画の予告を見て、嗚咽するほど泣いてしまった27歳ほど(客観的に見て)悲しいものはない気がするが、溢れ出てきしまうものはどうしようもないのである。

こんな調子じゃきっと映画館で観るときはオープニングから涙で画面が観れないんだろうな。

BLぐらい観るわよ

先日『同級生』というアニメ映画を観た。劇場で予告として流れていたころから気になってはいたのだが、いわゆる女性向け(腐女子)作品だったのでなんとなく劇場までは足が向かず、気がついたら公開が終了していた。

先日ふと「そういえばそろそろレンタルがあるかも」と思い、地元のTSUTAYAをうろうろしているとやはり有ったので借りてみた。

深夜アニメの中にもいくつかBLっぽい作品はあって、そういったものも観たことがあったのだが、しっかりしたBL作品を観るのはこれが初めてで、さすがに男同士のキスシーンに遭遇したときは「うーん、俺は何を観ているんだろう」と思ったりもしたが、次第に慣れ、終わるころには「BL作品だからと言って避けずに観て良かった!」と素直に思った。

押尾コータローの繊細なBGMも素晴らしいのだが、なにより草壁役の神谷浩史の演技が素晴らしいし、積極的に行く草壁に対し戸惑う佐条もいいし、とにかくすごく純度の高いカップリングを楽しめて最高だった。

期待以上に素晴らしかったので仲の良いアニメ好きの知人諸々におススメしたのだが、やはりBL作品だからなのかウケはあまりよくなく、観てくれそうな人はいなくて少し残念である。

僕からすると関係性(カップリング)を楽しむのだからここ数年の流行りのアニメとそう変わりはないんじゃないかとも思ってしまうわけだが、やはり性差というものは大きいみたいである。僕なんかはそういった流行りアニメよりも『同級生』のカップリングの方が、純度が高くて楽しめたりしたのだが。

 

僕が深夜アニメを観出したばかりの頃に社会現象?と言われるくらいヒットしたのが『けいおん!』だった。日常アニメの到達点とまで言っていいかはわからないが、「全国大会出場!」といったようなたいそれた目的もなく、ただただゆる~い軽音部5人の日常を描いた『けいおん!』とその大ヒットは一つの達成だったと思う。物語性も希薄で、モブにいたるまで登場人物から「男性」(ノイズ)を排除した『けいおん!』はなんとなく時代と寝ていた感じがあったような気さえする。

一方で、最近の流行りの『ラブライブ!』は、「廃校阻止!」そのために「大会で優勝!」と物語性もあったり、なにより『けいおん!』ではキャラとキャラのカップリングを楽しむというよりも全体の関係性と空気感を楽しむという感じだったが、『ラブライブ!』ではよりキャラとキャラのカップリング性を愛でる傾向があってこのあたりが『けいおん!』とは違うなと感じる。

なんの根拠もなくそしてジャーゴンにまみれたゼロ年代風に言わせてもらえば、戦後日本のなれの果てであるポストモダンが産み落とした作品が『けいおん!』であるとするなら、『ラブライブ!』はSNSスマホによる過剰につながった(関係性の錯乱)時代の作品と言えるのだろうか。

 

ところで、『同級生』には原作漫画があって、アニメの先が読みたいのでふらっと書店のBLコーナーに行ってみたりしたのだが、アウェイ感がすごくて結局買わずに帰ってきてしまった。なんだろう。BL漫画を買うってどぎつい萌え漫画を買うよりもはるかに困難なことなんだな。