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ゴダールはすごい(たぶん)

高校の先生と映画の話をするたびに「ゴダールはいい」というので、なんとなくゴダールはいいと思っている。なんとなくというのはゴダールの映画を観ると必ず途中でうとうとしてしまうし、なんとなくすごいものを観たという気がするのだが、本当にそう思っているのかいまいち自信がもてないからである。

ゴダールに関心を持ち始めてから公開された『ゴダール・ソシアリスム』、『さらば、愛の言葉よ』は当然劇場に観にいったし、リバイバル上映された『気狂いピエロ』、『右側に気をつけろ』、『はなればなれに』も劇場に観にいった。デビュー作である『勝手にしやがれ』ももちろんDVDで観たし、予告編でアンナ・カリーナのキュートさにやられてどうしても観たくなった『女は女である』はBlu-rayまで買った。

こう振り返ると意外と観てきているが、その全ての作品でうとうとしてしまった気がする。じゃあ観て後悔したかと尋ねられると決してそうではなくて、僕にとってゴダールの作品を観るということは映画を観るというより、ゴダールを体験するという感覚なので、たとえ眠くなってもいいのである。

作品のトータルでは、全編にわたってアンナ・カリーナのキュートさがたまらない『女は女である』が一番好きな作品だが、思い出深いのは劇場で観た『はなればなれに』である。劇中にダンスを踊るシーンがあるのだがそのシーンの陽気さと幸福感が劇場で観て以来忘れられない。あまりにもお気に入りなのでその後Blu-rayまで買ってしまったくらいである。

そんな『はなればなれに』がまたリバイバル上映されている。劇場で観てるし、Blu-rayも持っているので多分行かないと思うが、ほんの少し気に留めておこう。

ゴダール『はなればなれに』オフィシャルサイト

新春轟音祭り

ダイナソーJr.を観に行ってきました。

会場は名古屋のクアトロ。クアトロに来るのはCARCASS以来だけど、アクセスもいいし、ボトムラインとかよりも音もいい気がするので好きな会場です。

 

僕がクアトロに着いたのは開場して15分ほど経った頃で、すでに入っていたH氏と合流。H氏とは今年初顔合わせだったのでクズい近況報告から最近の遠征報告やらをおしゃべり。おしゃべりしながらステージを見るとでっかいマーシャルのアンプが積まれてて、「去年東京の単独公演で爆音過ぎて女の子がゲロったってのはあながち嘘じゃないのかも」とごくり。

ガンズの時みたいな演出もなく暗転すると、ぞろぞろとメンバーが出てきて演奏スタート。

 

!!!ダイナソーJr.ヤバいって!!!

ギター&ボーカルのJ.マスシス、ベースのルー、ドラムスのマーフのスリーピースバンドなのにとにかく音がエグい。爆音すぎて音を聴いているというよりも音にぶつかっているという方が正確。普段行くメタルのライブよりもはるかに轟音。なるほど、こりゃ「ゲロ吐く」人も出ますわw

爆音で聴くマスシスのノイジーなギターは最高だったけどもう少しボーカルの音を上げて欲しかったな。

あとギターをかき鳴らすマスシス、ベースをぐいぐい弾くルーに挟まれて淡々とドラムを叩くフーコーそっくりなマーフが印象的でした。

MCも休憩もなしの100分ほどの轟音ライブ。堪能しました。

 

耳がぐわんぐわんなる中、心地いい気分でH氏と腹ごしらえをしいつもの飲み屋さんへ。明日もあるので11時前に店を出て駅について改札を通ろうとしたら事件が…。

そう定期がないのです。カバンをひっくり返してもなくて、ダメ元で飲み屋さんに戻ると床には見慣れた赤い定期入れが。ほっとしたものの酔いも爆音の感傷も覚めてしまいました。

それにしてもなんなん。僕の年に一回は定期を落とすこのイベント。

www.youtube.com

You Could Be Mine

大阪にガンズ・アンド・ローゼズを観に行ってきました。

ガンズは、まぁ聴くけどそこまで思い入れがあるわけではないのですが、アクセル、スラッシュ、ダフの三人がいるならせっかくだし観とくかということで大阪へ。ライブは土曜だったので有給も取らなくてよかったしね。

 

昼過ぎにこちらを出て2時ごろ難波へ到着。せっかくなのでお好み焼きを食べて腹ごしらえ。ねぎ焼きの美味しい「美津の」へ。2時半頃にいっても並んでてさすがという感じ。この店ではわけあっていつも偽名を使うのだけど、今回はぼーっとしてて本名を名乗ってしまい勝手に気まずい感じに。ほら、僕、このお店と同じ音の名字ですので。

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腹ごしらえとビールでテンションを上げ決戦の地京セラドームへ!

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開演2時間前に行ったのですが物販は流石の盛り上がりで、寒空の下1時間ほど並びました。悩んだ結果ロゴではなくファーストアルバムのジャケのTシャツを購入。ところで積ん読に積みCDはもはやザラな僕ですが、最近は積みTシャツも増えてきたなぁ。二年前にラウパで買ったTシャツで着てないやつとかあるしw

 

まずは前座のベビメタちゃん。う〜ん音が悪いw京セラドームは初めてだったのでこんなものかと思っていたのですが、ガンズの音は気にならなかったので結果的にベビメタちゃんの調整不足か。いつも通りのキュートで激しいパフォーマンスでしたが、なんか前観たときよりもバックバンドの神バンドのメンバーがグイグイ前に出てきてたな。まぁあの演奏力の高さもベビメタの売りの一つなのでいいけどw

 

そしていよいよガンズアンドローゼズ

以下がセットリスト。

www.setlist.fm

体型がおっさんと化したアクセルさんですが声は出てる!もちろん全盛期ほどは出ていないけど、気にならないほどに高音も出てる!あとYOSHIKIみたいにピアノも弾いてた!

スラッシュは世間の評価ほど僕の中では好きなギタリストではないんだけど、悶絶でした。なんであんなギター泣いてんの。

そして何よりベースのダフ。長身に低く構えたベースがカッコよすぎる。他の二人と違ってすらっとしてるし。

正直四曲目に「Welcome〜」やられて少し持て余した感はあるけど、いい思い出になりました。ビッグバンドはやはりビッグバンドになるだけの理由があるね!

一緒に行った僕をメタラーにした友人は、ガンズ大好きっ子なのでアクセル、スラッシュ、ダフの三人が同じステージに立っているのを見て感慨深げでした。

SMAPもなん年後かに奇跡の復活をするといいね!

僕の退化論

先日髪を切りに行って、美容師さんと年末はどう過ごしていたかという話になった。

新年らしい事といったらセールに行ったくらいで、その話をした後に、そういえば大晦日の深夜から小・中学校の友人とファミレスで集まってたわいもない話で初笑いをし、かれこれそれも10年以上になるという話をしようとして、実際にしたのだが、話してる最中に「ファミレス」という言葉が出てこなくなって、「えーと、あの深夜でもやってて、お茶が飲めるところで、うーんと」となって、なんとか「ファミレス」という言葉を絞り出したが少し恥ずかしい思いをした。

最近、こうやって固有名を思い出せなくなることがよくあって、それは加齢による脳の衰えか。それともフレッシュさを喪って関心事が少なくなり内向きになっているせいか。いずれにせよこういう時に歳をとることは嫌だなと思う。

 

ものの名前が出づらくなったのは僕ばかりではなくて、先日同級生の友人と食事に行き、僕の車で珍しくMETALではなくThe Beatlesが流れていて、友人が「やっぱりいいね、これ、えーと、うーんと」となってどうやらThe Beatlesが出てこなかったらしい。

それが面白かった僕は、「ほらあのフォルクスワーゲンの車種にあるじゃん」とか「ジョン・レノン」、「ポール・マッカトニー」とかヒントを出しながら「やっぱり歳のせいなんだな。こうして数十年後にはお互いに体のどこが悪いとかそういう話をするんだろうな」と思った。

結局モールス信号みたいに音だけでヒントを出したら思い出してスッキリしていた。

それはそうとThe Beatlesはいい。

師走

来る。新年がやって来る。つまり「明けましておめでとうございます」が飛び交う。

でも僕は別段明けてめでたいとも思わないので、多分今年も「明けましておめでとうございます」とは言わない。「昨年はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。」くらいになるだろう。

 

元日になると親戚が家にきて夕ご飯を食べるのだけど、その「一族」感が嫌でこの前の正月は新年早々名古屋へ映画を観に行ったのだった。新年早々101歳の映画監督によって撮られた映画を観るという振る舞いも忘れられないのだが、何より普段あれだけ賑わっている栄に、人も車もまったくおらず、映画よりもその光景がむしろ映画みたいだったことを記憶している。

 

2016年が良い年だったかはわからないけど、2017年は1月にガンズアンドローゼスのライヴ、2月に村上春樹の新刊、7月に魔法少女リリカルなのはの新作映画と楽しみなコンテンツがそろっているのでそれを楽しみに日々を過ごそうと思う。

 

それでは良い年越しを!

マヨネーズふたたび

「きょう、ママンが死んだ。」カミュ『異邦人』である。

「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。」吉本ばなな『キッチン』である。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」村上春樹風の歌を聴け』である。

小説において書き出しというか冒頭を覚えていることはままあるが、こと結末になるとむしろ覚えているものの方が少ない。結末を覚えている小説についてぼんやりと考えるとやはり真っ先に出てくるのが「僕」が「どこでもないところ」から「緑」を求めるラストで終わる『ノルウェイの森』で、その次はリチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』である。

 

(真相は定かではないが)その断片を積み重ねて一つの小説をなす『アメリカの鱒釣り』は、その形式から村上春樹高橋源一郎に影響を与えたとされ、また、藤本和子による偉業ともいえるその名訳によって知られているところである。

47の断片からなるその小説のストーリーを語ることは難しい。そもそもお話があったかどうかも定かではない。ただ覚えているのは愉快なまでの奔放さである。

そんな断片からなる小説のラストは「マヨネーズの章」という章であり、その一つ前の章は「マヨネーズの章へのプレリュード」である。「プレリュード」で「わたしは、ずっと、マヨネーズという言葉でおわる本を書きたいと思っていた。」と語られ、実際、終章となる「マヨネーズの章」では「マヨネーズ」という言葉で終わっている。

このふざけていると言われてもおかしくないラストを読んだ時、とても風通しの良い思いがしたことを今でも覚えている。このラストには、「小説」という入れ物の広さというか自由さが表れていると思ったのである。

 

物語ではなく言葉の流れを読むのが好きな僕が「詩」ではなくむしろ「小説」という言語芸術に惹かれるのはおそらく「小説」という空間が広くて息苦しくないからであろう。そこはどんな風に遊んでもたいがい許される場所なのである。

短編

最近河出から文庫化された『過酷なるニーチェ』を買って、ちびちびと読んでるのですが、中島義道さんが僕が昔から不安に思ってる「自分が死んだ後でもこの世が続いていく虚無感」みたいなのを完全に文章化して感動しました。


年内になにか長編小説読みたい…。どびん。